長岡亮介線型代数,入門講義―現代数学の“技法”と“心”,東京図書,2010

長岡亮介線型代数入門講義―現代数学の“技法”と“心”

長岡亮介線型代数入門講義―現代数学の“技法”と“心”


折角書いたのに Google crome は emacs 系の入力 method と相性が悪いのか全部消してしまった。くそ。

しょうがないので要点だけ書き直す。

以下は出張先の本屋で手にとってざぁっと一通り読んだ印象である。

「心」と言う割には既存の線型代数のテキストに「いたみ止め」と称して簡単なコメントをつけただけで線型代数の心を伝えた気になっているのはおこがましい。

高校で幾何ベクトルをやったからイントロに幾何ベクトルを持ってこようというのは安易すぎる。半世紀前の斎藤正彦先生の教科書とは時代が違うのだよ。時代が。高校のベクトルはアフィン幾何学なので、点の相対的な位置関係を平行移動という同値類で分類するために線型代数を用いるという高級なことを使っているのだから、厳密には幾何ベクトルは線型代数の範囲から少しはみ出しているのだ。しかし、なお且つ線型代数の枠に収まるというところが教えるのが難しい。

例えば、線型代数ではベクトルの和の解釈は一意である。しかし高校の幾何ベクトルではベクトルの和は2通りの解釈が存在する。このことを明文化していないならば、線型代数の本に安易に幾何ベクトルを持ち出すべきでない。

つまり著者は線型代数にきちんと対峙できていないのである。受験参考書よろしく既存の学問を技法としてわかりやすく伝えることはできても、再構築するだけの哲学がないということである。

まぁ受験数学の世界に長くいる人なので線型代数の技法は、まぁ、それなりにつくであろうが、線型代数の定理に「本質」という言葉を使って、はったりをかましているが、何故その定理が線型代数の本質足り得るのかという説明が完全に不足している。そんなことでは線型代数の「心」は伝わらない。

山ほどある線型代数の本の中に改めて1冊を加える、というくだりは斎藤正彦先生のパクリというかオマージュかも知れないが、まず自己批判と覚悟が足りない。

と、かつて長岡先生の講義を実際に受けていた者として、きっちりと批判しておくこととしよう。知っている人にはとことん冷たいのだ。一応フォローしておくと、大学の内容を高校生にみせびらかして本質と権威付けする能力は非常に素晴しいと思う。その亜流の駿台の某とは格が違う。

あれ、褒めてないなぁ。まぁ人を褒めるのが何より苦手なのだからしょうがない。