線形代数―行列とその標準形 (シリーズ新しい応用の数学 16)
- 作者: 伊理正夫,韓太舜
- 出版社/メーカー: 教育出版
- 発売日: 1977/06
- メディア: 単行本
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本書は大学学部時代の線型代数の教科書だったので筆者としては非常に思い入れがある。特にまえがきは一読に値し、例えば
日本語で書かれた線形代数の入門書、教科書は数知れないぐらい多い。それらの教科書・参考書は新しいものほど‘‘すっきり”したものになってきているようであるが、別の見方をすると、次第に‘‘役に立つ事実”の記載が減ってきているようでもある。(実際、応用者の中では、最近、‘‘古い”内外の参考書を逍遥して、自分に役立つ適切な定理を発見することが一つの流行にさえなっている。)
との記述には汗顔の至りである。またタイトルにもあるように行列の標準形から世界を眺める重要性について説いてある。そしてその思想は、多くの線型代数の書物においてあまり意識がされていない、
線型変換と、その表現行列をきちんと区別して表現する
ことによって強く現れている。ちなみに第7章の目次は
変換と標準形、Jordanの標準形、有理標準形、Sylvesterの標準形、正規行列の標準形、
既約形、階数標準形、特異値標準形、2部既約形、単因子標準形
と、壮観であり、線型代数マニア垂涎の構成となっている。なお、ジョルダン標準形に関しては、韓太舜,伊理正夫共著,ジョルダン標準形,東京大学出版会(1982)という別著書が用意されている。
さて、内容を検討しよう。
第1章はベクトルとベクトル空間である。いの一番にベクトル空間の定義から始まっており、このような教科書も珍しい。多くの線型代数の教科書が、高校からの接続を意識して、いわば高校の復習から導入されているのに比べ、高校で習ったことをむしろ拒絶しているようだ。
ベクトル空間を定義した後、一次独立、一次従属、極大独立集合、基底と次元、基底変換、部分ベクトル空間、共通部分(交わり)、和、補空間、直和と畳み掛けるように進み、双対ベクトル空間を定義する。ここで内積は反変ベクトルと共変ベクトルの間に定義されると強調されているところに注意しておく。著者らは内積が0となる場合について、直交という言葉を用いずに、消し合うという言葉を用いている。これは計量が定義されていない状況で直交という言葉を用いることを避けるためであり、高校で習ったベクトルの曖昧さを取り除く努力が十分なされていることが感じられる。
ここで高校で習ったベクトルの曖昧さとは、筆者が個人的に思っていることで、線型空間とアフィン空間の区別のなさや、基底が正規直交基底であるとの前提から計量行列が蔑ろにされている状況を指すと考えていただきたい。
話を戻すと、双対ベクトル空間を定義する意義は2つある。
1つ目は既に述べたように計量が定義されていない状況で内積を想起させる事項を扱うことである。例えば線型写像における核の話をするとき、イメージとしては行空間に直交するベクトルの集合となるところだが、計量が定義されていない状態ではその表現がままならないので、その代替案となるのである。
もう1つは、非常に重要なことであるが、線型空間内のあるベクトルを表現するとき、基底と成分表示は双対となるからである。基底変換行列と成分変換行列が反傾の関係にあることなど、線型空間において成分表示によらない状況をあえて成分表示で考えると、必ず双対な構造を扱わなければならないからである。
これを行列の積の前にやっていることからも本書の性格が見えてくるだろう。そしてこの双対構造を見据えているからこそ、線型変換と、その表現行列を明確に区別するのである。
第2章は行列。代数演算や転置、複素共役とそれから導かれる特殊な行列の名称を述べ、行列のブロック化とその計算を述べる。
第3章は行列式。置換から定義して、多重線型性をみたすという流れは伝統的である。って30年近く前の本で、日本の線型代数の本では古典に位置するから当然ともいえるか。小行列式を用いて行列式をラプラス展開し、余因子行列、クラメルの公式と説明したあと、一般化されたラプラス展開、ビネー・コーシーの公式と暴走する。暴走し終わった後、ここで行列のランクが登場する。行列のランクの定義自体は、線型独立な列ベクトルの個数の最大値と、普通の定義であるが、これから「値が0でないような小行列式の最大次数」という定理を導いている書物も珍しいだろう。
この後、逆行列を定義し、行列の基本変形へと進む。多くの書物は行列の基本変形をした後にランクが定義されるのだが、逆になっているのが面白い。またここでLU分解について述べられているのも工学部らしい展開である。
最後に交代化演算について説明して第3章を終える。
第4章はベクトル空間と一次変換。線型変換と表現行列を区別した意味が本章で明らかになる。この区別から基底変換により表現行列が A -> PAP^{-1} と変換を受けることが自然と導かれ、行列の相似という考え方が自然なものとなるだろう。もちろん行列の相似というのは、固有値、固有ベクトルを経て、ジョルダン標準形へとつながっていくのである。本章の読みどころはケイリー・ハミルトンの定理を交代化演算を用いて成分表示により証明している(別証明だが)所だろう。
また、本章では、最小多項式、ベクトル空間からその双対ベクトル空間への写像について扱っている。
第5章は2次形式と計量。もちろん計量行列を介して内積を考えている。出だしは双一次形式から二次形式へと進み、シルベスターの慣性法則へと進み、対称行列の正定値を定義してから計量を定義するという、一般的なものから特殊なものへと絞り込む方法がとられている。
第6章はグラフと行列。グラフを行列で表現する話。これは特殊な領域だからおいておこう。
第7章は行列の標準形。これは読んでもらうしかないなぁ。数年前に特異値分解の本質に気づいて得意げに吹聴していたことがあったが、実はこの本に載っていたのを忘れていただけなのかもしれない。
第8章は射影行列と一般逆行列である。内容は普通ですがきちんと書いています。
工学部の視点からなるべく理学的に書いた線型代数の教科書というのが本書の位置づけとしては適切であろう。交代化演算などは線型代数の教科書もしくは入門書としてはやりすぎの感もあるが、野に埋もれさせるには勿体無い良書である。