ガッチャマンの紙テープ

古いアニメ。現時点でも実現出来無いテクノロジーを実現しているコンピュータの外部記憶装置は磁気テープで、データ出力は紙テープにパンチ穴。穴のあいた紙テープをすらすらと読む博士。
おそらく当時にマルチウィンドウを iPad のように指で操作する描写では視聴者には意味不明だろう。そして30年後には、その描写ですら笑われてしまうことになるかも知れない。

個人的に「結局想像の範囲を少し越えたぐらいまでしか理解できないということ」を説明するために出す例である。

想像の範囲を大き越えてしまうと評価できなくなってしまう訳である。簡単に言えば「天才」とは「ある集団の一般人に想像できる程度にだけ優秀」のこと。グラスマン代数が評価されたのはグラスマンの死後。グラスマンは数学で評価されないので研究分野を物理学、言語学と変えてしまったぐらいだ。当時の数学者でさえ、グラスマン代数が社会に与えるインパクトを想像できなかった訳だ。独創的でチャレンジングな研究だったのに全くと言って良い程評価されなかった訳だ。

ガロアも生前には評価されず死後に評価された訳だが、ガロアは21歳で死んだからなぁ。まぁ、これは仕方がないかも。

まぁ、一般研究者の想像力の範囲内の研究をしないと優れた研究と評価されないのは確かかだが、それが本当に優れた研究かどうか解らない。

もっとも本当に優れた研究を行なっていたとしても、某AMR先生のBPも、XXJM先生のSSのように論文発表当時は全く評価されず、数十年経ってから別の人に再発見されて、再発見した人の方が有名になってしまった為に、講演の度に愚痴を言わなければいけなくなる羽目になる、というのもどうでしょうねぇ。

いや、もちろん僻みですよ僻み。