なぜあの本を取り上げないのか?

線型代数書評という割には、佐竹一郎の「線型代数学,裳華房 (1974) 」が取り上げられていないし、最近の本でも斎藤毅の「線型代数の世界,東京大学出版会 (2007) 」が取り上げられていないと思う人もいるだろう。

その理由は、

(1)ここで取り上げるには難しいので、後回しになっている
(2)ブログの主には理解できないほど難しいから、取り上げることが不可能
(3)持ってないから

のどれでしょうか?

少なくとも線型代数書評を始めた理由は、講義の際の補助テキストを作成する際に、剽窃、いやいや参考にしようと思っていて始めたので、その際に読み直した本を解説しただだけなので、講義のイントロのためにやさしい線型代数の本を読んだり、独自の工夫をしている線型代数の本を読んだりと、一見統一感がないが、講義の参考とする部分があったという意味で統一感があるわけで、講義の対象の学生としては、佐竹一郎は難解すぎ、斎藤毅は旧ブログのときに発売されていなかったという訳だ。ちなみに、佐竹一郎の「線型代数学,裳華房 (1974) 」は手元にない。書名が「行列と行列式」である頃のものなら持っているが。内容は同じだと良いのだけど。

大学の学科再編の流れで、私が教える線型代数の科目が消滅したので、線型代数書評を書く必然性もなくなったのだが、折角なので、線型代数書評をもう少し続けて、それを元に、講義資料を書き換えたものを近くに公開しようかと思う。

もちろん、線型代数書評で取り上げる本は、適当である予定で、有名な書籍が直ちに取り上げられるとは限らないし、そんなに沢山線型代数の本を持っていないし、金銭上の都合で古本屋で激安価格にて揃えられないものは買えないのである。

線型代数の入門書を書くという視点では、どうしても工学部向けのものとなってしまう。これは理学部に比べて工学部が劣っているという意味ではなく、個人的な理解の視点が

具体例⇒抽象化

という流れをとっているからで、例えば、掛け算の勉強において「九九を丸暗記させる」ことによって自然と掛け算の交換法則を理解する、ということである。学問は行きつ戻りつしながら少しずつ成長をさせていくもので、初めから何もかも提示して、最短ルートで学ばせるものではないと考えていることによる、ということである。

自分で定理が頭の中で構成された後に、さりげなくテキストにその定理が触れられていて、「やっぱりそうか!!」

という形で理解するという代償のために学ぶ喜びが得られるような本が書ければよいのだが、まぁ自分の能力を考えると無理なので、そこは妥協しなければならないのだが、妥協ができなかったので、本を書くように何度か頼まれたにもかかわらず、本の出版は実現せず、締め切りに追われて世に出た駄文ばかりが身の回りに渦高く積もっているのみである。

要するに、世の批判を受け入れる勇気が足りない訳で、これは20年前から講義や学会発表で壇上に立つたびに、問題を解くたびに、より良い講義と比べられて否定されないだろうか、より良い解法と比べられて否定されないだろうか、という脅迫観念に取り付かれていることと無関係ではなく、この点は改善すべきであろう。

そして批判を受け入れる覚悟を持って上梓してきた多くの物書きに敬意を表する次第であり、自らも批判を受け入れる覚悟を持って線型代数のテキストを作成しようと思い、超えるべきハードルを設定するために線型代数書評を復活した、という訳である。

ここで、斎藤正彦先生の「数多くある線型代数の本に新たに一冊を加えるのだから、意味がなくてはならない」という言葉(正しい引用をして後に書き換える予定)が心に響く。